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『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』が描く70年代の対話ーー分断の時代に何を教えてくれるのか

やまね
やまね

70年代を舞台にした映画ですが、なんと23年の公開!

やまねです😊

アレクサンダー・ペイン監督、ポール・ジアマッティ主演の映画『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』を観ました。

観た時には、いつ公開された映画なのか知らなかったので、結構昔の映画なのかなという印象だったんですが、なんと公開は23年!

結構最近の公開なんだと知って驚きました!

物語の舞台が70年代になっているので、現代を描いたものではないんだけど、現代において、こんなふうに人の心が通じ合うという話が描かれること自体が不思議だなと思ったんですよね。

今回の記事では、分断や行き止まり感が強まったこの時代に、なぜあえて“過去”を舞台にしたこの映画が作られたのか、そんなことを考えてみたいと思います。

⚠️ネタバレがありますので、ご注意ください!

1970年を舞台とした人間模様

あらすじ

映画の舞台は、1970年のアメリカ、ボストン近郊にある全寮制の名門男子校バートン。
クリスマス休暇中に、皆んなが家族と過ごすために帰省していて、ガランとした学校内。

そんな中に、家庭の事情で帰省することができなかった生徒1名、その生徒の監督役となった教師、寮の料理長が、まるで取り残されたかのように雪に囲まれた建物の中で過ごした時間が描かれます。

取り残された3人のお話。

3人の背景

この物語の中心は、生徒の監督役となった古代史を教える教師ハナム。

彼は、生徒達に非常に威圧的で厳しい態度をとる偏屈な教師で、嫌われ者。

というのも、ハナムは、このバートンのような名門校に通うような生徒達は、裕福な家庭に生まれて、名門校を卒業して名門大学に入ることにしか興味がないんだと失望しているんですね。楽勝の人生をありがたみもわからずに享受していると考えている。

また、ハナムは独身で家族もいないから、人生のほとんどの時間をバートンの中で過ごしています。

一方、家庭の事情で帰省することができなかった生徒のアンガス。

アンガスは、ハナムがほとんどの生徒のレポートに落第点をつけていた中、唯一及第点をもらうことができた賢い生徒。

ただ、アンガスもひねくれた態度をとっていて反抗的、友達もほとんどいない様子。

そして、料理長のメアリー。

黒人女性であるメアリーは、女手一つで育てた一人息子をベトナム戦争で亡くしたばかり。

メアリーは息子が小さな時から良い教育を受けさせたいと願って、このバートンに勤めていたので、実は息子はこの高校に通っていたんですね。

でも、大学へ金銭的な理由から進学をすることができず、そのため軍隊から召集がかかった時に、それを逃れることができなかった。
当時は大学に通っていれば徴兵猶予される制度があったので、バートンに通うような裕福な生徒たちの多くは、当然のように大学に進学していましたから、ほとんどベトナムに行かずに済んだんですね。

そうして息子を失うことになったメアリーは息子と共に時間を過ごしたバートンでクリスマスを過ごそうと寮に居残ることにしたのでした。

They've had it easy on their whole lives.
(彼らはいつだって気楽にやってきた)

You don't know that. Did you?
Besides, everybody should be with their people on Christmas.
(何も知らないくせに クリスマスは家族と一緒にいるべきよ)

「ホールドオーバーズ」より ハナムとメアリーの会話
こりゃ生徒に嫌われる・・・。

バラバラの属性の3人の間に絆が生まれていく

こんなバラバラの属性を持つ3人が、雪に閉ざされた学校内で長い時間を共にします。

普段は同じバートンの学校内で過ごしながらも、全く別の世界を生きていた3人。

そのバラバラの人間の間にだんだんと絆が生まれていくんですね。

クリスマスを共に過ごした3人。
映画では、クリスマスツリーはハナムが用意した裸のもみの木に即席の飾り付けをした感じで、それがまた良い味を出してました。

3人のコミュニケーションのあり方が現代と違うような・・・

現代と違う点が色々あります。

まず、わかりやすいのは、スマホやネットがないこと。

だから、夜は3人でテレビの前で過ごしているんですね。かといって、必ずしも一緒に番組を見ている訳ではなくて、本を読んでいたり、雑談したりしてるんだけど。

今だったら、皆んなそれぞれスマホとかPCで自分の好きなものを見るから、同じ空間で過ごそうという状況にならなさそう。

あと、もう一つ、大きく違うなと思った点が、3人とも語り口が辛辣。

相手の痛いところを躊躇なく突いてきます。例え言いにくいことであっても本音で語り合うのがスタンダードな感じです。

そして、登場人物が痛いところをついた結果、相手が本当に傷ついているのを感じたときに、慌てふためいたりしながら、不器用な優しさを示したりするところに、この映画のユーモアやコミカルな部分があったりします。

テレビを観ながら色々おしゃべり。

そうして、お互いの痛みを知る

そうやって嫌でも一緒に過ごすうちに、ちょっとの優しさを見せたり、ぶつかり合ったりしながら、本音で語り合う内に、全然違う境遇にあってもお互いのことが少しずつわかるようになっていく。

まず、アンガスは苦労を知らない金持ちのドラ息子というわけではなくて、父母が離婚をして、母親が裕福な相手と再婚したことで寄宿制の学校に入ったこと。

本当は、クリスマス休暇中、母親と一緒に実の父親が入院しているボストンの精神病院に行く予定だったのに、突如母親が新婚旅行に行くことになり、クリスマスに学校の寮に取り残されることになってしまったこと。

そして、精神疾患で入院している実の父とは心を通じ合わせることが難しい状況にあること。

親の愛を受けることができない孤独な環境で必死で足掻いていたのが、わがままで反抗的な態度に見えていたんですね。

一方、生徒たちに高圧的に振る舞い偏屈で嫌われ者の古代史の教師のハナムにも、意外な過去があります。

それは、ハナムが、苦労して奨学金を受けてバートンを卒業し、名門ハーバード大学に進学したものの、進学先でレポートの盗用をされたにも関わらず、相手が裕福な学生だったことから不問にされ、むしろ仕返しをした自分が退学になってしまうという理不尽な結果となったこと。

その後に、自分の母校バートンに受け入れてもらい、教職に就けたこと。

しかし、だからと言って、教師という仕事に不満を抱き、不貞腐れた結果、そのストレスを自分の立場を利用して生徒にぶつけていたのではなかったんですね。

ハナムにとって、バートンは尊敬する師もいて、唯一の居場所と言える特別な場所であり、この学校を自分の命だというくらいに心から愛していました。

だから、ハナムはバートンでの教師という仕事に誇りを持ち、自分の教える古代史に対しても心からの情熱を持っていて、生徒にそれを伝えたいと願っているからこそ、厳しい態度になっていたということもわかっていきます。

また、いつも気丈に振る舞っているメアリーも、本当は息子を失ったことで深い深い悲しみの中にいて、誰にも触れられないような傷を心に負っています。

そうして、バラバラに境遇にあった3人も、心の奥底を見れば、喪失や孤独による痛みがあるということがわかっていくんです。

時に辛辣な言葉、相手を傷つけてしまうような本音の言葉をぶつけ合ってきた間柄だからこそ、相手の痛みも正面から受け止めていけるような関係になっていきます。

ハナムとアンガスは、ボストンへ一緒に出かけたことで、お互いのことを深く知ることができました。

人は属性を越えて理解し合えるし、それを糧に成長することができる

ハナムの選択

クリスマス休暇が明けた時に、休暇中にボストンの精神病院にいるアンガスの父親のもとに、アンガスが会いに行っていたことがアンガスの母親の知るところになってしまいます。

そして、母親はアンガスが問題ばかり起こすので、いよいよミリタリースクールに転校させようとするんですね。

そこで、ハナムは、自分がアンガスに父親に会いにいくよう勧めたのだと嘘を言って、アンガスを庇い、自分は責任をとってバートンを去ることになります。

自分の命だという程に愛していたバートンという場所を、若いアンガスに譲って、ハナムは新しい人生への一歩を踏み出すんですね。

きっとアンガスにとっても、ハナムにとってのバートンと同じように、バートンが大切な場所になるんだろうということを予感させます。

ハナムにとっても新しい旅立ち。
きっと念願だった自分の本を書くんじゃないかな。

この選択の意味

当初、ハナムはアンガスに対して、楽勝人生を歩む金持ちの子という認識で接していました。

この認識のままであれば、ハナムは上述のような自己犠牲を払うことはなかったんじゃないかと思います。

でも、ハナムとアンガスは、お互いの痛みや優しさを知り、絆を作った。

だからこそ、ハナムはアンガスに自分の何より大切な場所を譲るという大きな決断をすることができたんですね。

孤独な人生を歩んできたハナムに、アンガスとメアリーという大切な友ができたことで、ハナムは変わったんじゃないでしょうか。

その人達の存在がハナムに力を与えてくれた。
そして、彼は、自分の損得を越え、自分の殻を破って、命のように大切に思っていた場所を、未来の可能性ある若者のために手放そうと思った。

この選択には、人が利他的な存在になることの意味が凝縮されているように感じました。

ハナムも変わったし、アンガスも変わりました。

現代に向けたメッセージ

If you truly want to understand the present or yourself, you must begin in the past.
You see, history is not simply the study of the past.
It is an explanation of the present.

(今の時代や自分を理解したいなら、過去から始めるべきだよ。 歴史は過去を学ぶだけでなく、いまを説明すること)

『ホールドオーバーズ』 ボストンの考古博物館でのハナムのセリフ

まさに、この作品自体が、今の時代を理解するために、学ぶべき過去を描いたものなのかなと思いました。

70年代にも分断の要因となるような時代背景は十分あった。

メアリーの息子のように戦地に行かざるを得ない境遇の者もいれば、バートン校にいる多くの生徒たちのように当然のように大学に進学してそれを免れる者もいます。

それにも関わらず、戦争を招くような政治的な決定ができるのは、常に後者の人々。

この映画にも、メアリーの悲しみに対して、自分には無関係という態度でいたバートン校の生徒が出てきましたから、もちろんどの時代にも無理解というのはあったのだと思います。

でも、ハナム、アンガス、メアリーのような関係を築くことができた時代だったし、その力が人間に備わっているということには、今も変わりがないはずです。

昔から人間の本質っていうのは変わりがないもの。
今の私たちにも、ハナム、アンガス、メアリーのような関係をきっと作れるはず。

おわりに

最後にアンガスがハナムに「See ya!」と挨拶したのが、ハナムがバートン校から去り、一瞬交わり合った2人の人生はこれから別々の道を辿っていくという岐路に際して、すごく軽いのが、若者らしくてよかったですね。

アンガスはハナムと心を分かち合えたけど、やっぱりジェネレーションギャップもあるんだなということが微笑ましい感じで伝わる一言だし、教職を失って新しい一歩を踏み出したハナムのこれからも若者の未来のように身軽で自由なものになるかもしれないと感じさせる余韻を作っていたように感じました。

この一言で、それだけの演出ができるっていうのが、本当に素晴らしいですよね。

この他にも、アレクサンダー・ペイン監督の作品は忘れられないような素晴らしい作品がたくさんあります。

いつかそれらの作品についても記事にできたらいいなと思っています!

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  • この記事を書いた人

もりのやまね

私は、アダルトチルドレン(AC)当事者で、
HSP(繊細で感受性が強い気質)の傾向があります。

現在は、一児の母ともなり、不器用ながら何とか生きているところ💦

映画やドラマの鑑賞が長年の趣味で、
年とともに弱ってきた身体に鞭打って睡眠時間を削りながら、
胸に突き刺さるような名作を探究し続けています。

このブログ「Slow growth」では、
そんな私が出会った名作と言えるような 映画・ドラマ(ときどき本も)について批評しています。
そして、 同時に、自分の経験や生活実感をもとに
現代社会と人間の「生きづらさ」の構造を考察することを目指しています。

生きづらさっていうのは、ただの苦しみというだけではなくて、
生きる実感をもたらしてくれる 人生の友ともなりうるものであることを、
お伝えできたらいいなと思っています。

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