AC・HSP当事者としての気づきと体験談 生きづらさに向き合う(AC・HSP体験とセルフケア)

「親ガチャ」って、本当に不公平?アダルトチルドレンとして考えたこと。

やまね
やまね

人生のほとんどはまさに「ガチャ」みたいなものだね。

「親ガチャ」。数年前によく聞かれた言葉のように思いますが、もうこの言葉はあまり使われないんでしょうか・・・。

正直、その辺のことはよくわからないんですが、この「親ガチャ」という考え方について、ふと思ったことがあったので、それを書いていきたいと思います。

「親ガチャ」は本当だ。

「親ガチャ」という言葉は、本当にそうだなと思います。

当然ながら、親は自分で選べないし、気がついたら今の親の元に生まれて育っていたので。

「親ガチャ」とは、子どもがどんな親のもとに生まれるかは運任せで、親の環境によって人生が大きく左右されることを、スマホゲームのガチャに例えたインターネットスラングです。良い親の元に生まれることを「当たり」、そうでないことを「ハズレ」と表現し、特に不平等な家庭環境に生まれることに対して使われることが多いです.

Google AIによる概要

そして、特にアダルトチルドレンという自覚がある人の中の多くは、親ガチャにハズレてしまったことが原因で、「生きづらさ」を抱えることになってしまったとも言えます。

人生の多くは「たまたま」に左右される。

でも、そんな風に運任せで決まることは、どんな親のもとに生まれるかということだけではありません。

例えば、その人が持っている才能とか能力。それから、容姿。

どんな親の元に生まれるかが運任せであれば、どんな才能を持って生まれてくるか、どんな能力を持っているか、どんな容姿なのかも、当然運によって左右される部分が大きいことになりますよね。

自分の力で全てを手に入れられたわけではないんです。

だけど、それに恵まれた人ほど、どんな親の元に生まれたのかも、自分の持っている才能も、能力も、容姿も、全てのものが当然に自分のものであって、自分がそれに値するから恵まれているのだという気持ちに陥りがちです。

当然のことだと思う方が、たまたま自分が恵まれていただけだと思うよりも楽だから。

もちろん、その人の努力もあるでしょうが、元を辿れば努力をできる境遇を手に入れられたこと自体が運によるものだと言えます。

その反面、そのたまたまに恵まれなかった人は、自分がそれに値しないから、「親ガチャ」に外れたり、才能や能力、容姿などを手に入れることができなかったような気持ちになってしまいます。

そして、この「恵まれた人はそれに値する人で、恵まれなかった人はそれに値しなかった人」という感覚が、恵まれなかった人の苦しみをより一層大きなものにしているんじゃないかと感じています。

「たまたま」だからこそ、人は平等だし、助け合える。

でも、その「たまたま」はいつ誰に何が起こるがわからないってことなんです。

今日まで恵まれていないと思っていた人が、明日には運命的な出会いによって人生が変わるかもしれないし、今日まで恵まれていると思っていた人が急に人生が行き詰まってしまうことだってあります。

もちろん、人生のある程度の部分は、自分の力で変えられますが、それを遥かに上回る大きな自然の力というか偶然の力によって左右されてしまいます。

ですから、恵まれている人はそれに値する人だから、ずっと恵まれ続ける人であり続け、恵まれなかった人はそれに値しない人だから、ずっと恵まれないまま人生を過ごす運命にあるということではなく、どんな人であれ、どんな人生にも値するはずなのに、偶然今たまたまその境遇にあるというだけのことなんですよね。

そういう意味で、人間は公平にできているし、平等なわけです。

そう思えば、今恵まれた状況にある人は、たまたま今自分に与えらているものに感謝をし、今恵まれない状況にある人を見た時に、もしかしたら自分がその人であったかもしれないのだからと手を差し伸べることができるんじゃないかと思います。

一方で、今恵まれない状況にある人は、もしも誰かが手を差し伸べてくれたならその手を取って、いつか自分が人に手を差し伸べることができる状況に変わった時には、同じように誰かを助けようと思うことができます。

そうすることで、人間は自分の力を遥かに上まるような自然の力というか運命の力というか大きな力に左右されながらも、助け合って生きていけるんじゃないでしょうか。

「親ガチャ」って不公平なのか?

「親ガチャ」という言葉には、その「たまたま」の力の働きの前においての人間の無力さみたいなものが込められているのかなと思います。

でも、「親ガチャ」にハズレた人も、当たった人も、結果は違ったとしても、どちらの人も同じように結果を選ぶことはできなかったという意味では公平だし、どちらも無力なんですよね。

だから、親ガチャにハズレてしまった自分だけが無力なわけではなくて、ハズレをきっかけに「たまたま」人間の無力さに気がついたというだけなんです。

そして、そういう人間の無力さを自覚しながら、自分に「たまたま」与えられた力を使ってできることをやり、与えられたものに感謝して、周りの人と助け合って生きていくことができれば最高ですよね。

そういう意味では、「親ガチャ」にはハズレていたとしても、大事なことに気がつくことができた「たまたま」もあった訳で、人生というものは複雑なものだなと思います。

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  • この記事を書いた人

もりのやまね

私は、アダルトチルドレン(AC)当事者で、
HSP(繊細で感受性が強い気質)の傾向があります。

現在は、一児の母ともなり、不器用ながら何とか生きているところ💦

映画やドラマの鑑賞が長年の趣味で、
年とともに弱ってきた身体に鞭打って睡眠時間を削りながら、
胸に突き刺さるような名作を探究し続けています。

このブログ「Slow growth」では、
そんな私が出会った名作と言えるような 映画・ドラマ(ときどき本も)について批評しています。
そして、 同時に、自分の経験や生活実感をもとに
現代社会と人間の「生きづらさ」の構造を考察することを目指しています。

生きづらさっていうのは、ただの苦しみというだけではなくて、
生きる実感をもたらしてくれる 人生の友ともなりうるものであることを、
お伝えできたらいいなと思っています。

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