
猫好き必見のホラー映画です💕
やまねです😊
今回は、最近Netflixで観た映画『クワイエット・プレイス:DAY 1』について書いていきたいと思います。
本作は、記事のタイトルの通り、ホラー映画と思いきや、半分くらい猫な感じです🐈
『ストレンジャー・シングス』で大人気のエディ役の役者さんジョセフ・クインも活躍してます。
そもそも『クワイエット・プレイス』とは
本作は、2018年に公開された『クワイエット・プレイス』の前日譚という位置付け。
『クワイエット・プレイス』は、地球外からきたであろう怪物の大群に人類が滅ぼされつつある世界を描いたものです。
そして、この怪物というのが人間を捕食しているんですが、視覚がない代わりに聴覚が非常に発達しているという特徴があり、とにかく音を立てたら怪物に襲われてしまう。
数えきれない位の怪物が地球上に存在するようで、至る所に怪物の危険があるんですね。
だから、怪物に気が付かれないように、音を立てずに潜むことでサバイバルをするというお話です。
物音を一切たてられないから、まさにタイトルの通り『クワイエット・プレイス(静かな場所)』。
前作、前々作では、正直記憶が朧げなんですが、幼児や赤ちゃんといった状況を理解して行動するのが難しい存在を抱えてどう生き残るかという家族の姿を描いたお話だったかと思います。
でも、今作ではその幼児や赤ちゃん的なポジションに猫が置かれている感じで、主人公達が怪物から逃げ隠れしている際に、猫のマイペースな行動に翻弄されていきます。
また、本作では、『クワイエット・プレイス』シリーズの怪物が地球にやってきた最初の日(DAY1)が描かれています。
舞台はニューヨーク。
本作では、恐怖に支配され物音一つ立て許されないような抑圧された状況の中で、人はどう生きられるのかということが描かれていて、現代を生きる私たちに重要なヒントをくれる内容になっているんじゃないかなと思います。
⚠️以下よりネタバレがありますので、ご注意ください!

映画のフロドも白黒なんだけど、ハチワレではなく、もっと白い部分が多い感じの猫ちゃんでした😺
物語のはじまり
ホスピスで暮らしていたサムと猫のフロド
本作の主人公サム(ルピタ・ニョンゴ)は、末期癌を患っていて、猫のフロドと一緒に、ニューヨーク郊外のホスピスで暮らしています。
ホスピスの中でサムは、痛みと絶望の中にいて、誰にも心を開かずに過ごしている様子。
でも、ある日、看護師のルーベンに誘われて観劇のために、地元マンハッタンへ久しぶりに帰ることに。
サムは乗り気ではありませんでしたが、観劇の後にマンハッタンでピザを食べるという約束を取り付けて、他のホスピスの仲間達とマンハッタンへ出掛けていきます。
猫のフロドも一緒です。サムと猫のフロドは、ホスピスの中でも外でも、いつも一緒に行動しているんですね。

突然、世界がひっくり返る
ところが、マンハッタンで観劇をして、その後にピザを食べて帰るはずが、看護師のルーベンに連絡が入り、何か異変が起きているから急遽ニューヨーク郊外にあるホスピスへ戻ることになってしまいます。
サムは、どうしてもマンハッタンでピザを食べてから戻りたいと主張しますが、聞き入れられることはなく、仕方なく猫のフロドと共にバスに戻ります。
バスが出発しかけたその時、バスの窓から見えるマンハッタンの青空いっぱいに流星のように何かが降り注ぐ光景に、その場にいた人たちは皆、目が釘付けになります。
その瞬間、激しい爆風、爆音がして一瞬真っ暗に。
爆撃が始まったんですね。この爆撃は、どうやら例の怪物の襲来に対抗する軍の攻撃のようです。
爆煙の立ち込める中、怪物たちも現れ、それまでのマンハッタンの日常世界は、ほんの一瞬のうちに一変してしまいます。
そして、この一瞬のうちに日常が奪われてしまう様子が、とてもリアルに感じてしまいました。
現実に世界の色々な場所で戦争が起きている今、自分たちの日常が壊れるのって、気づかないくらいの予兆はあっても、こういう一瞬で起こるのかなと。

人々の流れに逆らって
爆撃のタイミングで、一度はサムと猫のフロドは離れ離れになってしまいますが、看護師のルーベンがフロドを保護していてくれたことで、奇跡的に再会を果たします。
しかし、猫のフロドを抱えて、サムは何とこの期に及んでも、マンハッタンでピザを食べることにこだわっている!!
マンハッタンは橋が次々と爆撃により壊されて離れ小島となって、残された人々は怪物たちと一緒に隔離された状態。
(後から分かりますが、怪物たちはどうも水が苦手なようで、泳いで向こう岸に渡ることができないんです。)
それでもマンハッタンから逃げ出すのではなく、ピザを食べるためにハーレムへ行くと言います。
そして、多くの人々が生き残りをかけてマンハッタンから抜け出すべく、避難船が待つ港へ向かう中、サムとフロドは人々の流れに逆行していきます。

エリックとの出会い
ところが、大勢の人が港へ向かう足音が怪物を呼んでしまったのか、大通りに怪物の大群が襲い掛かり、辺りはパニックになってしまうんですね。
そこで、またもやサムは猫のフロドを見失ってしまいます。
で、サムとはぐれたフロドは、猫らしくネズミを追いかけたりしながら、その辺をウロウロしていたんですが、その時にエリック(ジョセフ・クイン。『ストレンジャー・シングス』のエディ役の役者さんです!)と遭遇。
その時、エリックは命からがら助かった瞬間でした。そこで、ふと見上げると猫のフロドと目が合います。
この危機的な状況においても、飄々としてどこか優雅ささえ漂うフロドの姿は、いつもの猫らしさを全く失っていないんですね。
その姿に希望の光のようなものを見出したのか、エリックはフロドの後についていくことにしました。
すると、フロドに導かれるようにして辿り着いた路地裏には、サムが隠れていました。
こうして、それまで全く縁のなかった2人が出会うんです。

2人と1匹の旅の始まり
迫りくる死への恐怖に怯えきっていたエリックは、サムと猫のフロドから離れることができずについてきてしまいます。
そして、サム達と一緒に行動していたときに、大雨が降り出します。
実は、大雨というのは絶好のチャンス。雨音に紛れれば声を出しても怪物に気づかれずに済むんですよね。
そこで、2人は語り合い、エリックはサムのことを色々知る機会に恵まれ、サムが命に関わる病気を患っていること、元々は詩人だったことなどを知ります。
また、サムがハーレムでピザを食べるという目的を貫徹しようとしていることを知り、エリックは自分も一緒にマンハッタンに残ってピザを食べるのだと決めます。
そのシーンでは、エリックがサムの詩を声に出して朗読する場面があります。これは、サムが病のために余命を宣告されたことについて詩にしたものなんですね。
To four, to three
(4そして3へ)To smaller And smaller
(さらにもっと小さい数字へ)Until months To days
(数ヶ月 数日)To hours To seconds
(数時間 数秒)But to not now
『クワイエット・プレイス:DAY 1』よりサムの詩「悪い計算」より
(でも まだだ)
サムにとっては、怪物が地上に現れる前から、日常の終わりが始まっていたんですね。
この詩を朗読した後に、2人は雷鳴に重ねて、大声で叫ぶんです。
人間にとって、声を奪われるというのは、生きる喜びを奪われるのに等しい。
叫び声を出した後の2人は、生きる喜びを久しぶりに取り戻し幸福な笑顔を浮かべていました。

ハーレムのピザの意味
世界が終わろうとしている中でも、どうしても食べたかったピザというのは、サムにとってどういう意味を持っていたのか。
物語の終盤で、ようやくそれをサムが語ります。
それは、子どもの頃の思い出でした。
昔、ジャズのピアノの演奏家だった今は亡き父が、ハーレムのジャズクラブで演奏をするときに、サムを連れて行ってくれたこと。
その後に、一緒に近くのピザ屋「パッツィ」でピザを食べるというのが、当時の2人の習慣だったということ。
サムにとって、大好きな父との思い出と今とをつないでくれるのが、ハーレムの「パッツィ」という店のピザだったんです。
そして、サムとエリック、フロドの3人は、数々の危機を乗り越えながら、やっとの思いでハーレムのピザ屋「パッツィ」に辿り着きますが、街全体が廃墟のようになっている中、店も既に火事に見舞われた後になっていました。
それを見て、サムは落胆して膝から崩れ落ちて座り込んでしまいます。
でも、エリックが機転を効かせて、今度はサムの亡き父が演奏していたジャズクラブへと向かいます。
ジャズクラブの客席にサムを座らせたエリック。
彼は廃墟となった街で別の店から食べられるピザを探し出し、そのピザの箱に「パッツィ」と書いて、サムに差し出します。
それはサムが探していたピザとは違うものかもしれないけれど、生きる喜びに満ちた時間を思い出させてくれるのには十分過ぎるものでした。

肝心な点、猫のフロドについて
ここまで、あらすじを紹介しながら、物語の意味を書いてきたのですが、猫のフロドの記述が半分もない!
これでは、この記事のタイトルの「映画『クワイエット・プレイス:DAY 1』の半分は猫でできている」と話が違うということになってしまいますね💦
でも、本当に猫のフロドは、映画の最初から最後まで登場しますし、半分くらい猫でできている映画なんです。
では、猫のフロドは、物語の中で何をしていたかというと、終始一貫して猫らしく振る舞っていました。
飄々と優雅にいつもの猫らしい様子で、その辺を静かにウロウロしていたりする。
そんなフロドを助けようとして、サムやエリックが何度か危機に陥ったりしていますが、もしかするとフロドは人間の助けがなくても、割とうまくあの環境でも生き残れたんじゃないかなという様子なんですよ。
その辺が、これまでの『クワイエット・プレイス』に出てきた幼児や赤ちゃんのような庇護を必要とする存在と違うところです。
猫って、忍者のように静かに行動できますからね。
さらには、フロドは怪物に音を聞かれる危険を本能的に察知してか、怪物たちの危険が及ぶ状況では、一度も「ニャー」と鳴かなかったんです。
(最初のまだ日常の中にいる時、最後のエリックと避難船へ向かって海を泳ぐ場面では、怪物たちの危険が及ばないため、「ニャー」って鳴いてたので、普段は普通にニャーニャー言ってるみたいです。)
つまり、どうやらフロドは状況がわかっておらず、お気楽に過ごしていたから、猫らしさを失っていなかったわけではない。
危機的な状況の中ではずっと鳴かずにいたところから、危険を本能的にわかりながらも飄々と過ごしていたんじゃないかということが伺われます。
よくよく考えてみれば、猫というのは、元々人間社会に入り込みながらも、人間に支配され切らず、自分らしさを失わずに割と自由に生きてきたようなところがある。
だから、怪物たちの襲来によって世界が一変しても、相変わらず、強かに猫らしく生き延びる術を知っていたのかなという気がしました。

サムの言葉とニーナ・シモンの『Feeling good』
物語の結末
マンハッタンでピザを食べるという目的を果たした後、2人と一匹は避難船を追いかけて港の方へ向かいます。
しかし、そこには避難船の汽笛に集まったたくさんの怪物たちの姿もあり、2人と一匹の全員が助かることは到底不可能な状態。
そこで、サムは猫のフロドをエリックに託して、自分は囮となって大きな音を立てながら逆方向に走るんですね。
そして、その音に気がついたのは怪物だけではありませんでした。
避難船の上にいた人たちも生存者がいることに気がついて船を止めます。
怪物たちに追いかけられて間一髪のところで、エリックとフロドは海に飛び込み、避難船まで泳いで何とか無事マンハッタンから避難することができました。
その姿をサムは少し離れたところから涙を流しながら見届けます。

サムの言葉
実はサムは、こうなることを予期していて、エリックにメモを残していたんです。
そのメモにはフロドを頼むということと、感謝の気持ちが綴られていました。
Thank you for bringing me home.
(ありがとう 私を自宅まで 連れていってくれて)Thank you for helping me live again.
(命の輝きをありがとう)I'd forgotten how the city sings.
(街の歌声を忘れていた)You can hear it when you're quiet.
(静けさの中で聞こえる)It's good to have been back.
『クワイエット・プレイス:DAY 1』よりサムの残したメモ(英語の引用の下に書いた翻訳は日本語の字幕をそのまま引用しているんですが、この場合「home」を「自宅」と訳すと意味が狭まっていて妥当じゃないような気がしますね。故郷とかの方がいいんじゃないかな。)
(戻れて うれしかった)
この言葉をエリックに残し、サムは誰もいなくなったマンハッタンの通りに佇み、イヤホンをして音楽を聴きます。
そこで、流れるのがニーナ・シモンの『Feeling good』。
この曲は、もともと抑圧からの解放をテーマにした舞台の作品中の一曲で、それをアフリカ系アメリカ人であるニーナ・シモンがカバーしたもの。
抑圧の中を生き延びた末の再生を歌ったこの曲を聴きながら、サムはイヤホンをiPodから外して、音楽を静かな街に鳴り響かせます。
サムの背後にはその音に引き寄せられた怪物の影が映りますが、それでもサムはどこか満ち足りた表情を浮かべているようにも見えます。
It’s a new dawn
(新しい夜明け)It’s a new day
(新しい一日)It’s a new life
(新しい人生)For me
(私にとっての)And I’m feeling good
"Feeling good"より
(そして、私は良い気分)
おわりに
怪物によって物音立てることもできない状況とは違うけれども、今私たちが生きている世界も少し似ているような気がしました。
お互いの違いを理解し合って共に生きようという価値観が失われつつあり、思ったことを大声でいうのが難しく感じることが増えたように感じるんですよね。
自分がこの社会で生き残るためには、声を押し殺して生きていかなければいけなくなるのかなと不安になってしまう・・・。
でも、この映画を観て、もっと「猫を見習わなくては!」という気持ちになりました。
映画のように、静かな場所、抑圧のある場所だからこそ、声を出すこと、生きることの喜びを再発見できるのかもしれません。
猫のように、静かに飄々と優雅に強かに生きて、生きる喜びを忘れずにいたいなと思います😊
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ここでも、怪物との戦いの中での再発見が描かれていましたね。
鬼滅の場合は、鬼の側の生き様も興味深いですね。



