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映画『愚か者の身分』を観て、アウトロー世界の変化について考えたこと

やまねです😊

先日、Netflixで綾野剛さんが主演する映画『でっちあげ』を観たので、今度はまたもや綾野剛さんが出演している映画があるぞということで、『愚か者の身分』を観ました。

『愚か者の身分』は、2019年の西尾潤の原作小説を永田琴監督が映画化したものです。出演は北村匠海、林裕太、綾野剛など。

弱肉強食の世界で

アウトローの世界の変化

アウトローの世界というのは、昔から映画になってきましたが、時代と共にアウトロー世界の描写のされ方は随分と変化してきたように思います。

映画は現実の世界の写し鏡になっているから、現実の世界の変化なのかな。

そのことは、『ヤクザと家族』という映画でも、暴対法ができたことで、ヤクザ稼業がダメになってしまったという背景が描かれていましたね。
(この映画もとてもよかった😭)

でも、ヤクザの組織がダメになったことで、社会がよくなったかというと実はそうじゃないんじゃないかと言われています。

というのも、歴史的に、ヤクザというのは、戦後日本が統治機能が弱体化した中で、闇市などの管理や法がカバーしきれない揉め事を抑止したりなど、国家が機能しない部分を補う国家とは別の非公式な調整役を担ってきた面があるんですね。

国家というのは、法律という仕組みで処罰というある種の暴力を背景に統治をするものですが、ヤクザというのも暴力を背景に調整をするので、二つは相反する存在のようでとても似ている面があったんです。

また、今の社会のような仕組み、例えば会社に雇用されて、毎日一定の時間働くといった生き方というのは、誰もが適応できるわけではなくて、一定数そこからはみ出してしまう人が必ず出てくる。

その受け皿の一つになっていたのが、ヤクザ組織だったという面があるんですね。
だから、ヤクザの組織は社会的に問題でもあったけど、社会的に大事な役割も担っていた。

そういう背景があるからなのか、ヤクザ映画では、兄弟の盃を交わすといった儀式があったし、法律はなくても仁義という別の掟に従っていて、特に堅気の人には手を出さないということで、法を重んじないけれども社会と共生するという考えがある感じでアウトローの世界が描かれてきました。

しかし、最近の映画では、同じアウトローの世界でも、それがなくなってしまった後のアウトローの世界というものが描かれているわけです。

盃を交わしているイメージです。
人生の節目がわかるようにするためにも儀式って大事。
この時の綾野剛も光り輝いていましたね✨
綾小路きみまろもいいけど、やっぱり綾野剛がいい!(昔のCM的なやつです。わかる人いますでしょうか・・・😅)

気がついたら足を踏み入れていたという恐ろしさ

『愚か者の身分』も、まさにその受け皿が失われてしまった後の社会に残った弱肉強食の世界を描いています。

ヤクザ組織が弱体化してアウトローの世界に全く統治機能がなくなってしまった後に残った世界は、どんなものになったか。

とにかく強いものだけが生き残れるというその自然の摂理のみがあって、建前とか掟とかが一切ない世界。

そして、昔はその建前や掟によって、堅気には手を出さないとか、社会の表と裏の境目がある程度分けられていたけど、今はその表と裏の境目が非常に曖昧になり、気がついたら足を踏み入れてしまう世界になってしまったようなんですね。

だから、気がつかないうちに組織的な犯罪の片棒を担いでいて、仲間に引き入れられ後戻りができなくなったり、うかうかしていると餌食になってしまうなど、法の枠内で平穏に生きているつもりが、いつの間にかアウトローの世界に紛れ込んでしまうということが起きやすくなっているんじゃないかなと思います。

思わぬところに落とし穴

自然界と異なりお金を介しているからこそ歯止めなく残酷になってしまう

また、強いものだけが生き残れるというその自然の摂理と書きましたが、一方で自然界の弱肉強食よりも残酷さに歯止めがかからない要素が、人間の世界にはあるんですよね。

それは、お金です。

自然界では、食う食われるというのは本当に文字通りの意味ですから、ある意味、自分が食べる必要のある分以上に弱者を襲おうとすることはないわけです。
食欲には限度があります。

ところが、お金っていうのは貯蓄ができるし、あらゆるものと交換できますから、欲望に歯止めが効かなくなっていきます。

そうすると、強い者は、生きていくのに必要な分という歯止めがありませんから、自分の力の及ぶ限り根こそぎ奪い尽くせるだけ奪おうとして、どんどん残酷なことをするようになってしまうんじゃないかと思うんですよね。

ですから、自然界の生きるために必要な食う食われるの弱肉強食の世界とは異なり、底知れない残酷さが生じていきます。

強者であっても、お腹がいっぱいなら食べない(多分)。

力によっても奪われないものがあった!

アウトローの世界で生きる

そして、そんな世界で生きる3人の男性の関係性を描いたのが『愚か者の身分』です。

闇ビジネスの世界で、戸籍の売買を生業にする2人の兄弟分であるマモル(林裕太)とタクヤ(北村匠海)。
それから、タクヤの兄貴分のような存在であり、運び屋をやっている梶谷(綾野剛)。

物語は、この3人それぞれの視点で同じ3日間についてを描いた3部構成になっています。

3人の登場人物がでてきます!このイラストでは、誰が誰だかわかりませんが、マモル、タクヤ、梶谷です。

身分すらもお金に変えられ、臓器も売買の対象となり、命すらも簡単に奪われてしまう

先述の通り、マモルとタクヤは闇ビジネスを行う組織の末端で、戸籍の売買を行なっています。

戸籍というのは、日本社会で生きる上で自分の身分を表す大元となるデータ。

それを売り買いする世界があるんですね。

タイトルの『愚か者の身分』というのは、まずここにかかっているのかなと思います。

戸籍の売買に引っかかってしまうのは、戸籍がないと生活の足場を完全に失う事態に陥ることをわかっていない愚か者(私も常識に欠けるところがあったし、自分の家族はまさにこういうタイプなので他人事じゃないですが💦)。

そういう弱者は、悲しいことに簡単に食い物にされてしまうんですね。

それから、もう一つ。身分ということの意味に込められているのは、中世の頃のように固定された身分制度というのは一見ないようだけど、現代においても生まれた場所によっては、そこから抜け出すことが難しいような苦境にあり、愚か者、弱者になるか、食うか食われるかの世界で食う側に回るしか選択肢がないような人間がたくさんいるということかなと思いました。

そして、たとえ生き延びるためであったとしても、一度、この世界に足を踏み入れてしまうと、よっぽど気をつけなければ、底なし沼に引き摺り込まれるようにどんどんと身動きが取れなくなってしまいます。

食う側にまわったと思っていたのに、いつの間にか食われてしまう一寸先は闇のような状況。

その結果、タクヤは危ない橋を渡ることになり、戸籍どころか、両目の眼球を奪われ、内臓まで取られそうになってしまいます。

戸籍の売買のイメージです。これじゃあ、すぐ捕まりそうですね💦
映画では、喫茶店でもっとさりげない感じで取引していました。

ただ一つ、力によって奪われなかったもの

でも、どんなにひどい暴力を振るわれ、追い詰められても、彼らが失わなかったものがありました。

それは互いを思いやる心。

彼らの関係は、損得勘定で繋がったものではなく、お互いの痛みを知り、共に笑い、人生の荒波を乗り越えるために支え合うような仲間だったんですね。

特に、過去に実の弟を失ったタクヤと家族らしい家族を持たずに育ったマモルと関係性は、本当の兄弟のようなものでした。

その関係性やお互いを思いやる心というのは、自分で捨ててしまおうと思わなければ、誰かに力づくで奪われることはないわけです。

もちろん、人間の心は弱いものだから、損得勘定に負けてしまったり、自分が生き延びることを優先することで、自ら手放すということはあるかもしれない。

でも、自分がその選択をしない限りは、その心だけは人に奪われることがないわけです。

そして、マモルも、タクヤも、梶谷も、それぞれの物語の中で揺れ動きながらも、大切なものを失わなかった。

ある意味、損得勘定という点で考えたら3人は愚か者なのもしれないけれど、誰にも奪えないものを持っているという意味では、弱肉強食の世界で損得勘定のみに左右されて行動する人間たちに比べて遥かに豊かで幸せな生き方に恵まれているともいえるなと思います。

映画ではマモルとタクヤ、タクヤと梶谷がご飯を食べるシーンはありますが、3人でご飯を食べているシーンはないです😅
一緒にご飯を食べるという描写がとても丁寧に描かれていました。

法の庇護のもとに生きる世界では見えにくいけれども

このブログを読んでくださっている方の多くは、『愚か者の身分』で描かれているようなアウトローの世界に生きているというより、法に則ったいわゆる真っ当な社会生活を送っている方が多いんじゃないかと思います。

私もその1人。どうやって生きたらよくわからなくて若干はみだしちゃってるところもありますが、安心安全に見える場所で普通の人生を送っていると思います。

でも、法の庇護のもとにあるはずの社会生活も、実は先述の通り、法というのは処罰を後ろ盾にしたものであり、ある種の暴力装置が働くことで保たれた秩序の中に身を置いているんですよね。

だから、アウトローの世界のようにわかりやすくはないけれども、やはり法の庇護のもとに生きる世界も、暴力装置を背景とした弱肉強食の世界であることには変わりがなく、損得勘定を軸に右往左往してしまう場面が結構あります。

そういう中で、やはり私たちも、映画のマモルやタクヤ、梶谷のような魂を売り渡すことのない選択をすることができているかということを常に考えなければいけないわけです。

アウトローの世界と違って極端さが少ない分、知らず知らずのうちに魂を失っていたということが起きやすいのが、法の庇護のもとに生きる世界の難しいところ。

自分はどうかな、彼らのような絆のある関係を築けているかなということを考えさせられました。

アジを捌いて、美味しいご飯を大切な人に食べさせてあげる場面で、タクヤの人柄がよく表現されていました。
こんな風に、人を大切にすることができているかなぁと考えさせられました。

おわりに

この作品を通して、普通の生き方をしていると目が届かない社会の裏側の変化を垣間見ることができ、表と裏の社会のつながりを考察し、最後には自分の生き方はどうかなということについても考えることができました。

それと、この記事の一個前の記事で『でっちあげ』という映画を取り上げており、そちらも綾野剛さんが主演なんですが、正直、綾野剛にハマってしまったかもしれない・・・。

で、綾野剛さんの出演作について調べてみたんですけど、驚異的な数のドラマや映画に出演されているんですね💦

全部をチェックするのは難しそうだけど、とりあえずアウトロー系から観ていこうかな・・・😆

アウトロー系の作品って役者さんが輝くことが多いと思うんだけど、その中でも最も輝く役者の1人が綾野剛さんかなと思うので。

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もりのやまね

私は、アダルトチルドレン(AC)当事者で、
HSP(繊細で感受性が強い気質)の傾向があります。

現在は、一児の母ともなり、不器用ながら何とか生きているところ💦

映画やドラマの鑑賞が長年の趣味で、
年とともに弱ってきた身体に鞭打って睡眠時間を削りながら、
胸に突き刺さるような名作を探究し続けています。

このブログ「Slow growth」では、
そんな私が出会った名作と言えるような 映画・ドラマ(ときどき本も)について批評しています。
そして、 同時に、自分の経験や生活実感をもとに
現代社会と人間の「生きづらさ」の構造を考察することを目指しています。

生きづらさっていうのは、ただの苦しみというだけではなくて、
生きる実感をもたらしてくれる 人生の友ともなりうるものであることを、
お伝えできたらいいなと思っています。

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